2016年11月04日
本公演まで約一ヶ月
皆様へ、
いつもご声援いただき誠にありがとうございます。
TMCは第6回定期公演「誰かのために〜多久炭坑物語〜」に向けて、現在、団員・保護者・講師が一丸となって、より良い作品に仕上げることができるように稽古に励み、準備を進めています。12月10日と11日は、是非、多久市中央公民館へお越しください。
「今回の作品のセールスポイントはなんですか?」と先日、とある人に聞かれました…。
一言で言うのは難しいので、長い説明になります。セールスポイントの説明にもならないかもですが…。
佐賀県多久市には炭坑があったのはご存知でしたか?この町の方ははもちろんがですが、歴史に詳しい方は知っていらっしゃったかもしれません。なのでサブタイトルが「多久炭坑物語」となっているのです。炭坑というものは、過酷な労働で、時より事故も起きるような大変な仕事だったようです。そんなに詳しく知らない私はあまり想像もつきませんでした。ですが、炭坑時代を経験された多久市出身のご年配の方にお話しを聞く機会をいただいた時に、その方が言われた「自分は奇跡の生命なんです」という事実にはドラマがあり、これは伝えるべきものだと感銘を受け、この作品の根幹となりました。
また、当時、炭坑王と言われた高取伊好さんという多久の偉人がいました。彼は炭坑で成功をおさめ、育ててくれた郷土の多久の町にお金だけでなく、今では紅葉の名所になっている西渓公園などを寄付されました。しかし、成功をおさめるまでは、失敗を繰り返してきたのです。それでも、炭坑で世の中をよくしたいというぶれない思いがあったと私は思い、もし、彼と会話ができたら、どんなことを聞いて、答えてくれるかなということを想像しました。
高取さんと炭坑時代に育った多久市民の方とスケールは違うかもしれませんが、みんなきっと共通して「誰かのために」なるために、一生懸命に働いてきたのではないでしょうか。人が成長をしていく中で「誰かのために」生きることが「自分のために」にもなるとことに気づいてきたのではないでしょうか。それは今も昔も変わらないのかも知れませんし、多久というところが特別だったわけではありません。ですが、この作品は、完全な歴史物とは言えませんが、少しでも多久の歴史を振り返り、そこにあった人々の「誰かのために」という想いを感じて欲しいと思ったのです。
自分に振り返った時に、本当の意味で、まだまだ私は「誰かのために」なっていないかも知れません。しかし、そうなれるように生きていきたい、人間的に成長したいといつも思っています。ある一人の人のために少しでもなっていれば、それだけでいいのかも知れません。もっとたくさんの人のためになりたいと思っているから、まだまだやれていないと思うかも知れません。だから、きっとこれに答えはない哲学的な問いなのかもしれません。
演劇が始まったと言われる古代ギリシャでは、市民の義務が観劇だったそうです。哲学的な問いを演劇を通じて投げかけられ、そして、それを考え、語り合ったそうです。今回の作品は、ギリシャ演劇と方を並べることができるようなレベルではないでしょうが、私は演劇の原点である、人の生き方に問いかけるということにチャレンジしてみたいと思いました。
今回の作品を通じて、自分が大切だと思う人のためになっているかな?なりたいのかな?どうしたらなれるのかな?など、観劇していただける皆様には、そんなことを少しでも考えていただき、大切な人に想いを馳せていただければ幸いです。
「誰かのために
輝いて生きられるのなら
明日は変わるだろう」
(挿入歌「一番星のもとで」より)
脚本・演出 青柳達也
いつもご声援いただき誠にありがとうございます。
TMCは第6回定期公演「誰かのために〜多久炭坑物語〜」に向けて、現在、団員・保護者・講師が一丸となって、より良い作品に仕上げることができるように稽古に励み、準備を進めています。12月10日と11日は、是非、多久市中央公民館へお越しください。
「今回の作品のセールスポイントはなんですか?」と先日、とある人に聞かれました…。
一言で言うのは難しいので、長い説明になります。セールスポイントの説明にもならないかもですが…。
佐賀県多久市には炭坑があったのはご存知でしたか?この町の方ははもちろんがですが、歴史に詳しい方は知っていらっしゃったかもしれません。なのでサブタイトルが「多久炭坑物語」となっているのです。炭坑というものは、過酷な労働で、時より事故も起きるような大変な仕事だったようです。そんなに詳しく知らない私はあまり想像もつきませんでした。ですが、炭坑時代を経験された多久市出身のご年配の方にお話しを聞く機会をいただいた時に、その方が言われた「自分は奇跡の生命なんです」という事実にはドラマがあり、これは伝えるべきものだと感銘を受け、この作品の根幹となりました。
また、当時、炭坑王と言われた高取伊好さんという多久の偉人がいました。彼は炭坑で成功をおさめ、育ててくれた郷土の多久の町にお金だけでなく、今では紅葉の名所になっている西渓公園などを寄付されました。しかし、成功をおさめるまでは、失敗を繰り返してきたのです。それでも、炭坑で世の中をよくしたいというぶれない思いがあったと私は思い、もし、彼と会話ができたら、どんなことを聞いて、答えてくれるかなということを想像しました。
高取さんと炭坑時代に育った多久市民の方とスケールは違うかもしれませんが、みんなきっと共通して「誰かのために」なるために、一生懸命に働いてきたのではないでしょうか。人が成長をしていく中で「誰かのために」生きることが「自分のために」にもなるとことに気づいてきたのではないでしょうか。それは今も昔も変わらないのかも知れませんし、多久というところが特別だったわけではありません。ですが、この作品は、完全な歴史物とは言えませんが、少しでも多久の歴史を振り返り、そこにあった人々の「誰かのために」という想いを感じて欲しいと思ったのです。
自分に振り返った時に、本当の意味で、まだまだ私は「誰かのために」なっていないかも知れません。しかし、そうなれるように生きていきたい、人間的に成長したいといつも思っています。ある一人の人のために少しでもなっていれば、それだけでいいのかも知れません。もっとたくさんの人のためになりたいと思っているから、まだまだやれていないと思うかも知れません。だから、きっとこれに答えはない哲学的な問いなのかもしれません。
演劇が始まったと言われる古代ギリシャでは、市民の義務が観劇だったそうです。哲学的な問いを演劇を通じて投げかけられ、そして、それを考え、語り合ったそうです。今回の作品は、ギリシャ演劇と方を並べることができるようなレベルではないでしょうが、私は演劇の原点である、人の生き方に問いかけるということにチャレンジしてみたいと思いました。
今回の作品を通じて、自分が大切だと思う人のためになっているかな?なりたいのかな?どうしたらなれるのかな?など、観劇していただける皆様には、そんなことを少しでも考えていただき、大切な人に想いを馳せていただければ幸いです。
「誰かのために
輝いて生きられるのなら
明日は変わるだろう」
(挿入歌「一番星のもとで」より)
脚本・演出 青柳達也
Posted by Taku Musical Company at 00:02│Comments(0)
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